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カテゴリ:■本■( 25 )

さよなら、韓流

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さよなら、韓流 北原みのり (2013年)

ヨンさま降臨からはや10年。あの日から、日本の女の欲望の形は大きく変わった。
自身も〈韓流〉に「どはまり」し、〈韓流〉で叩かれまくった北原みのりがそれでも書く。
私たちはなぜこんなにも〈韓流〉を愛してしまったのか?
これは、韓流にはまった一人の女のドキュメント。そして、女たちの欲望史!(amazonより)

■■■■■


韓流ブームの盛衰を、自身の欲望に照らし合わせながら赤裸々に描いたエッセイ。
何よりも、「韓流=女の欲望(エロ)」であると断言する著者は、すがすがしい。
昨今の嫌韓ブームの裏側は、欲望をとめどなく追求していく日本女性たちへの、「愛国者」と名乗る人々の弾圧であり、日本の男社会からの弾圧だった・・・と看破する。

面白い。
面白いが、この手のエッセイにありがちな「韓流=エロ」という決めつけこそが、北原さんが憤る男社会の二元論と表裏一体のような気がする。
「韓流=エロ」なのでしょうか。
そうやって乱暴に決めつけちゃったら、それこそ、韓流の重層的な面白さが表現できない気がする。


私、K-POPには無知なので、ドラマに関してだけ(しかも数十作品しか観ていないけれど)、思うけれども。
北原さんは、「冬のソナタ」でおばさま方が、すべて、ヨンさまに欲情した(ある種の人は、パク・ヨンハにかも)と断言する。
ファニーフェイスに、むきむきの体に欲情した、と。
(この欲情するポイントも面白い。男子で言うと、顔は童顔なのにむっちりボインなアイドルが人気があるのと同じ原理ですね)
もちろん、そういう方も多数いらっしゃるでしょう。

でも、私、ヨンさまに欲情したっけ?

「冬ソナ」の場合、私はミニョンさんにメロメロになった。
あのマフラーの巻き方(笑)、エスパーのようにユジンの居所を発見する能力、そして何よりもアイデンティティが失われた存在に。
チュンサンは全く興味がなかったのよね~ 同じ顔、同じ体でも、ち~っとも好きではなかったです。
あんまり、エロだと思って観ていなかったのだけれどもな・・・
どちらかと言うと、自分の存在を失っている人間像(ミニョンさん)に興味があったのよね。


サービスシーンのシャワーシーンがドラマには毎回ありますが、いつもいつも変なことが気になるのよね。
服を着たままだと、
「それは水洗い禁止の洋服じゃないかしら」、とか、「きゃああ、色物なので白い方に色移りしちゃうよ」とか。
洗濯のことばかり、気になる(爆)
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裸なら、裸で、微妙にそこに俳優のナルシズムを感じて、居心地が悪いの~
「どう、みんな、観て~ 僕の体カッコイイでしょう~」みたいな感じ(笑)

今まで視聴してきたドラマで唯一納得できたシャワーシーンは、「美男ですね」のテギョンがウォシュレットの水をかぶって、気持ち悪くて、体を洗ったシーンだけだったわ(笑)


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あとね、必ずあるおんぶのシーンも、居心地が悪い。
韓流では女優さんもかなり背が高いので、どうもおんぶされても、あの長い脚が、中途半端に飛び出しているのが、居心地が悪い(笑) おんぶオバケのように見えて、見えて仕方がない。
毎回、「もおう、そんな無理して背負わなくても~」と、画面のこちらで、のたうちまわる。
「検事プリンセス」でソビョンはがんばってマ・ヘリをおんぶするのだけれども、ずるずるとすぐ彼女は落ちてきて、なんとも苦しい格好になったのよね・・・


ってな感じで、制作者側が「どうだ、エロだろ~」と鼻息荒く、自信満々なシーンは、かなりの割合で居心地が悪いのです。だからK-POPも居心地が悪いのかも。
北原さんが「韓流=エロであり全てのファンは、自分の欲望の充足を求めている」と言われても、なんだかそうなの~?と半信半疑なのよね。


韓国ドラマになにを求めて、私は観ているのだろうか、とぐるぐる考えてみると。
日夜、コミュニケーションに悩んでいる当方としましては、「これが愛なんだ!」とコミュニケーションをすっ飛ばして(笑)断言する韓国ドラマが新鮮に映ったのかもしれない。
日本って、思いやりだったり、謙遜だったりが美徳で、「秘すれば花」の価値観がどこかにあるじゃないですか。
「しのぶれど色にいでけりわが恋は・・・」の「忍ぶ恋」が割と主流なような気がする。
だからこそ、「東京ラブストーリーの」赤名リカの「カンチ、セックスしよう」は衝撃だったし、「ロングバケーション」の南の「こんなんだったら一回ぐらいやっときゃよかったね」のセリフは、新鮮だった。
しかし、それはあくまで「忍ぶ恋」があっての対比ですから。

ところが韓国ドラマって、愛に落ちたら、すごいのよね。
孤独で、自分が何者かわからなかった登場人物が愛で全てを手に入れたような、愛こそすべてのような、単純明快な世界観が新鮮です。
コントロールフリークの家族の楔をも変える「愛」
その圧倒的な存在感、を味わいたくて韓ドラを視聴しているのかも。
日本ドラマでは「愛こそすべて」みたいな単純なプロットは、なかなかないですから。
90年代の日本のドラマ「東京ラブストーリー」でも、「星の金貨」「高校教師」、「101回目のプロポーズ」「この世の果て」にしろ自分の欲望(純愛)を選んだ主人公たちの生き方は、困難でビターだ。
日本では「純愛」という概念が「社会の欲望」を捨ててこそ、社会的転落を覚悟しなければ手に入らないものになってしまった。
(それ以降の日本ドラマはあまり観ていないので、考察できませんが)

そんな中、単純明快に「純愛もどき」を高らかに訴える韓国ドラマは新鮮でした。

そういう認識の私なので、「韓流=エロ」と言われても、ピンとこない。
むしろ、「韓流とはなりふりかまわず、何かを訴えようとする力」かもと捉えていました。


ドラマを視聴していて、センシャルな感情になるのって、例えば、ウヒョン(ソ・ジソブ)@ファントムがシャツの襟元を緩めた時とか、ゴヌク(キム・ナムギル)@赤と黒の幸せを望んでいない酷薄なまなざしとか、チャ・チス(チョン・イル)のあまりにも自分がわかっていないおバカな時とか?
ピダムの届かない10歩とか?(これってセンシャル?センチメンタル?)
これぞセクシーというシーンよりも、そうなるにいたった過程がセクシーなのだ。
私の欲望って、分かりにくいや(爆)
いや、わかりやすいか。孤独で屈折した寂しがり屋の人間の物語を観ていたいのだから。
そんな、人間が愛によって自分を見出し、手に入らない愛に苦しみ、それまでの人生を投げ打って、愛に殉じる姿に感動するんだわ。

まあ、このタイプが好きなのは「アンジェリク」のフィリップや、「あすなろ白書」の取手くん(キムタク)や、松岡くん(西島秀俊)、「この世の果て」神矢征司 (豊川悦司)がルーツなのでしょうね。



「韓流=女の欲望」だけではなくて、寂しさや、誰かを求める強い気持ち、物語の力だったりするのだと思います。そんな重層的な魅力があるんじゃないかしら。
だから、俳優の体に欲情したのではなく、韓国ドラマが持つ寂しさに、心惹かれているのかもしれない。
ただし、ドラマが訳わかんないことで、なりふり構わず訴える力が強すぎると、辟易しちゃうんですよね。
自分のことばかり喋って、こちらの話を全然聞いてくれない女友達、みたいな感じを韓国ドラマから受けたりもします(笑)
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by moonlight-yuca | 2013-03-12 00:00 | ■本■ | Comments(10)

nakayama kaho

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「猫背の王子」中山可穂 (1993年)

創作上でのロマンスに関してのタブーは、あまりにないと思う。(リアルは別だけれども)
何しろ敬愛するBL作家木原音瀬が、もちろんBLを始めとしてあらゆる手法でロマンスにおける萌えの領域を広げてくれたから、私の。

そして私の中でロマンスの双璧の一人、中山可穂 は、ビアンというロマンスの領域を見せてくれた作家である。
時として、ビアンの世界の赤裸々さを描く作家、とセクシャルな部分のみしか語られない作家であるが、私の中では「ものすごく心が痛む作家」としてカテゴライズされる。
私にとって、セクシャルな描写は、それほど重要なことではない。
ロマンス小説(映画やドラマでも)胸が痛くなるかどうか、が評価の基準であり、中山の作品は、狂おしく胸が痛くなるのだから。


自分とセックスしている夢を見て、目が覚めた―。女から女へと渡り歩く淫蕩なレズビアンにして、芝居に全生命を賭ける演出家・王寺ミチル。彼女が主宰する小劇団は熱狂的なファンに支えられていた。だが、信頼していた仲間の裏切りがミチルからすべてを奪っていく。そして、最後の公演の幕が上がった…。スキャンダラスで切ない青春恋愛小説の傑作。俊英の幻のデビュー作。



王寺ミチルにどれほど焦がれたことか。
彼女の舞台をどれほど観たいと、焦がれたことか。
セクシャルな場面もあるけれども、この作品はむしろ、真摯に一人の人間が舞台に向き合うとはどういうことか。
それに巻き込まれた人はどれだけ傷つくのか。そのことによってミチルもどれだけ傷ついてしまうのか。
それすらも超越する演劇の魅力。
そんな物語に見えて、仕方がなかった。

何よりもビアンの世界を舞台にしながら、愛しようのない女を愛したトオルという男の恋の物語であり、それが次作でより鮮明になったことに、深く感銘を受けた。

王寺ミチルの物語は三部作だそうだが、三作目は、未だ世に出版されない。
最近の作者の本のあとがきで、現在の出版業界との決別ともとれる文章が掲載されていて、おののいている。
曰く、中山のような寡作の作家に対して、商業主義の出版社は発表の機会を与えない、とのこと。

ミチルに逢いたいから。
私の胸を狂おしく焦がしたミチルのその後が、見たいから。
強く願う。
どうか、ミチルのその後を読めますように、と。
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by moonlight-yuca | 2013-02-24 20:08 | ■本■ | Comments(0)

官能的でダークでダークでダーク・・・

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念ずれば通じる…
時々、自分の念の強さに我ながら敬服することがあります、こと本に関しては。
絶版本が入手できたり、初版本をいただいたり、そしてずっと読みたかった本がとうとう、翻訳されたり、と。
この念の強さは、書物限定なのが、ちょっと残念ですが。
ちなみに、宝くじにこの念が通じたことはありません。やれやれ。

が、とうとう、コニー・ブロックウェイの「All Through the Night」が翻訳されることに!!
最近はロマンス系小説はとんと読まなくなりましたが、2005年はロマンス小説を乱読してました。
その中でも、ブロックウェイはお気に入りで、ローズハンターシリーズが立て続けに翻訳されたので、「All Through the Night」も近いうちに読めるな、と思っていたのに、はや8年…
この小説が日本に紹介されるのにこんなに時間がかかったのは、何故なのだろうか。
ゴミのような(←失礼)ロマンス小説が山のように出版されるのに、なぜ「All Through the Night」は翻訳されないのか、悔し涙に泣きぬれました(笑)
いやあ、本当に念ずれば通じますね。本館でも2011年に書いていました。→ココ
とうとう3月に出版ということで、過ぎ去りし日々を思い出し感慨にふけっちゃいました。

ブロックウェイというとコメディタッチの明るいロマンスシリーズがが日本では人気みたいですが、私としてはNONですよ。
エモーショナルで暗い系のブロックウェイの代表作、官能的でダークでダーク。
「All Through the Night」楽しみだわ~


【あらすじ】
「悪魔のジャック」と恐れられ、どんな時も冷静さを失わないジャック・セワード大佐は世間を騒がせている大盗賊を逮捕し、ある屋敷から盗まれた手紙を取り戻す任務を与えられた。ところが、罠を張って待つ大佐の前に現れた盗賊の正体は、なんと妖艶な女で……!?



って感じで、切なくて、ダークでダークで官能的な「キャッツ・アイ」のようなお話です。
他人を愛することができない女と、他人を信じることができない男の物語。きゃああ!
やっぱり胸やけしそうなロマンス小説より、ダークでダークで官能的なロマンス小説の方が好きだわ。

原書はね、チャレンジしたのだけれども、エイゴに言い回しが難しいのですよね(私的に)、ブロックウェイ。
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by moonlight-yuca | 2013-02-04 20:05 | ■本■ | Comments(0)

the silver metal lover

銀色の恋人 タニス・リー

【あらすじ】
シルヴァー―エレクトロニック・メタルズ社が試作した人間そっくりのロボット。とび色の瞳に赤褐色の髪、銀色の膚をしたシルヴァーはギターをつまびき、ありとあらゆる歌をかなでる。ひとびとは心を揺さぶるその歌をきそって聞きたがった。だが、たったひとつエレクトロニック・メタルズ社にとって誤算が生じた。シルヴァーに恋する少女が現われたのだ!物語の名手が紡ぎだす、少女とアンドロイドとのSFラブロマンス。

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■ ■ ■ ■

硬質な文章のSF作家タニス・リーの、稀有なラブロマンス。
こんなに、みずみずしくって、ひたむきで、生きていくということが書かれているロマンス小説は読んだことがない。

「絶対彼氏」の元ネタであると言えば、お話の展開は想像できるだろう。
しかし、「絶対彼氏」の数千倍も、泣けるのは、少女が大人になると言うことはどういうことか、世界に立ち向かっていくことはどういうことかをほろ苦く、苦く、描いているから。
ものすごく苦いけれども、ものすごく甘い、セクシャルで、哀しい、ロマンス。

そして、少女だけではなく、セクサロイドのシルヴァーの、成長物語でもあるから。

「ジェイン」
少女の名前。「ジェーン・エア」(ロマンス小説の傑作!)の主人公と同じ名前なのは、読後にわかる仕掛け。

青春の愚かしさと、ひたむきさと、大人になることへの恐れ、そして何よりも誰かを大切に思う気持ちが、あふれてきて涙する。
誰かを愛するということはどういうことなのか。
誰かを失うということはどういうことなのか。

心が疲れて、やさぐれてしまいそうな時は「銀色の恋人」を読み返す。
あのころの、みずみずしい魂の私に戻れるような気がして。
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by moonlight-yuca | 2012-12-28 22:40 | ■本■ | Comments(0)

いつか記憶からこぼれおちるとしても・・・

「日曜日はダメよ」どころか、11月も12月もダメよ、状態のこのblog。
書きたいネタはたくさんあるのに、自分の能力以上の仕事量と納期に追われ、血迷っていた私ですが、ようやく落ち着いてきました~


現在視聴しているドラマなのですが、記憶という面白いテーマを扱っている。
愛とは記憶なのか…

記憶を失った後と前では違う人格の相手を愛せるのか。
脳に損傷を受けて、記憶を失ったというよりは、ロボトミー術後のように穏やかな人格になってしまった女。
愛したのは、あのとげとげしかったウンギなのか、それとも穏やかになってしまったウンギなのか。

「冬のソナタ」では、ユジンはミニョンさんには別れを告げて、チュンサンには全てを捨ててもついていこうとする。
同じ人物なのに、ミニョンさんはダメで、チュンサンならいいのは何故か。


愛するという行為を考えていると、まるでラビリンスのように、出口が分からなくなり、くらくらする。


私が「記憶喪失」のロマンスで最高傑作だと思うのは、木原音瀬の「COLD」シリーズ。
これは、「箱の中」なんかよりも、数百倍凄い、隠れた名作だとおもいますが。
思いっきりBLだし、DVなので、地雷満載でしょうね。

いじめられた幼少期、記憶を失って恋人関係になり、そして記憶が戻ったときに…
この本を、読んだ時の衝撃は、今でも忘れられない。



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by moonlight-yuca | 2012-12-25 16:34 | ■本■ | Comments(21)

フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ

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まあ、なんということでしょう!アタクシがとろとろしている間に邦訳が出版されてしまいましたね。
「フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ」
日本での出版は、むしろ遅すぎたくらい。全世界で翻訳出版されていますものね。
かのハリポタを超える、話題作ではございますが…

むしろ「フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ」の翻訳者が池田 真紀子氏ということに早川書房の本気度が伺えます。読みやすい翻訳でしたわね~
しかもハヤカワは新たなレーベル「RiViERA」を立ち上げて、大人の女のエロを追及していく所存らしいっすね。
まあ、ハヤカワさんはアタクシが読了後、気分が悪くなったくらいのBDSMの隠れた大作「Mの日記」の出版元でございますので、なんとなく納得ざんすよ。

しかし、装丁は本国のまんまなので好感が持てますわ。
「トワイライト」の初版では、マンガ絵だったのがなつかしく思いだされます。本国の装丁では、美しく退廃的だったのに、日本版になるといきなりPOPになっているんだもん!

あらすじ】女子大生のアナは、親友の代わりに、巨大企業の若き創業者兼CEOのクリスチャン・グレイをインタビューすることになった。これまで恋の経験のなかったアナだが、ハンサムで謎めいたグレイに会ったとたん、強く惹かれる。彼が運命の人?グレイもアナに好意を持っているのか、彼女の行く先々に姿を見せた。ふたりは急激に近づいていくが、やがて、グレイの倒錯した秘密の顔が明らかに…。





うん、まあ、こんなものでしょ。
受動・被虐の側(アナスタシア)が実は相手(クリスチャン)を支配している面がある、とかいうテーマは深いような他愛ないような。
えっとこれがマミーポルノともてはやされて、大ベストセラーっすか?
そっか・・・
ソフトポルノかな。「エマニュエル」といい、このくらいのソフト具合の方が、世の女性には受け入れやすいのかもしれない。
しかし、日本にはかの団 鬼六先生やら沼 正三先生がいらっしゃるからな。
このくらいのBDSMぐらいじゃ、アタクシ驚かないことよ。
甘っちょろい、ラブロマンスってとこかしら?

「トワイライト」の方が、ずっとずっと心に痛いのですが、読んでいて。
愛している女の血を欲しているのに(食欲)、吸血鬼にはしたくないというエドワードの、生存欲と愛の葛藤が心に染みました。
生き物にとっての究極の二者選択だったものね。生きるか死ぬか…みたいな。
かの大名作「あらしのよるに」を彷彿とさせる物語だったことが、アタクシ好きだったんだなぁ~

反して、「フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ」の選択ってさ、普通の恋愛をしたいのにSMは嫌だ。
ってことでしょ。どうも、危機感、瀬戸際感がなく、恋人同士のお二人で、プレイの方向性をどうぞお悩みくださいな。
みたいな醒めた感想を抱いちゃったヨ。
恋人同士の内輪モメってやつですか。

もともと「マスター・オブ・ザ・ユニバース」というネット小説だったらしい、今作。
良くも悪くもネット小説らしい長所と欠点を抱いた作品でもあります。
ネット小説出身の作家さんというのは、割に、自分が描きたいシーンを、自分が訴えたいテーマを前面に出してくる傾向がある。萌えのシーンを、細切れに、矢継ぎ早に見せていく、というか。
ものすごく作家に、その作品に対する(あるいはキャラに対する)パッションがあるので、時として、こちらの胸に突き刺さってくるんだよなぁ、その手法。その作家との相性があえば。
なんだかんだ言っても、私はこの3部作は読破しちゃうんだろうなぁ。
もしかして、人間の深淵が読めるかもしれないと、期待しつつ。
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by moonlight-yuca | 2012-11-06 11:54 | ■本■ | Comments(0)

太陽を抱く月(下)

a0192209_19293934.jpg太陽を抱く月 (下)  (2011年韓国)
チョン・ウングォル

初恋だったヨヌの面影を追いかける王・フォンの前に現われた、ヨヌに生き写しの巫女・ウォル。
やがてヨヌの死とその埋葬を疑いを抱く。その真相とは……!?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

以下、辛口です。上巻の感想はコチラ
ロマンス小説とは、ファンタジー小説とは、おふざけ風味の考察。







この1冊を読んで、韓国のファンタジー小説について、切り捨てるのはどうかと思う。
同じ作者の「成均館儒生たちの日々」「 奎章閣閣臣たちの日々」は、「太陽を抱く月」より、はるかに面白かったのだから。
しかし、この「太陽を抱く月」のファンタジーとしても、ロマンス小説としても凡庸なのは何故なのか。
どうしてこの作品が(ドラマも含めて)、あそこまで多くの人に支持を受けたのか、理解に苦しむ。

上巻は、まだ少しでも読み応えがあったかのように思う。読みどころとしては、以前にこう分析してみた。

フォン(王)に、自分がヨヌだと知られてはいけない、だけれどもあんなに恋焦れたフォンがそばにいて、フォンも自分に惹かれているのは嬉しい。
だがしかし決して自分の恋情を彼に悟らせてはいけない。
そんな彼女の煩悶する気持ちが、クールにミステリアスに読者には見えて、またフォンのウォルへの恋情を掻き立てる。
再会したその時から、フォンはウォル(ヨヌ)に問うている(上巻23P)。
「おまえを・・・抱いてはいけないか?」と。
そのフォンの恋情(欲情)を、ウォルはかわさなければいけない、自分も同じ気持ちなのに。
その2人の駆け引きが、読者を切なくさせるし、身もだえさせる。
フォンに早くウォルがヨヌであることを気づいて欲しい・・・と。そして自分を(ここでおそらく、大半の読者は自分をヨヌに投影させている)、もっと狂おしく欲してほしい、かきいだいて欲しいと、身もだえする。

また、雲のヨヌへの決して表には出さない秘めたる恋慕に身を焦がしている様にうっとりし、兄の妹ヨヌへの溺愛を堪能する。
ロマンス小説の、専門用語で言うと、「逆ハー状態」なのである。こんなにも愛されているヨヌ(自分)。しかし、ひっそりと耐えないといけない・・・
この耐えた状態から、恋愛が成就する瞬間が、愛し合う二人がすれ違い誤解を重ね、それでも互いを求めあい、結ばれる瞬間がロマンス小説の醍醐味であろう。

そう思って、私は、なんだかんだ文句をつけながらも下巻を非常に楽しみにしていたのだ。

ところが。

ところがだ。



下巻に入ると同時に、ヨヌ(ウォル)視点は皆無になる。
フォンの、ヨヌ=ウォルであるという証明探しが、本筋となる。
ここで、上巻から流れてきたロマンスの展開がぷつりと途切れてしまうのだ。

フォン目線でヨヌがいかに素晴らしい少女だったかを、延々と説明されていく。
王がどうして、1人の少女にそこまで惚れているのか、どうして忘れられないかが語られる。
しかしですね、私にはフォンが言うように、ヨヌがそんなにも稀有な少女には思えないのです。
姿は美しいでしょう、知識もあるでしょう(しかし、私にはヨヌの物言いがあまりにも老成していて、少しも女の子らしく感じないのですけれどもね。小賢しい・・・そんな感じ・笑)
これだけよ。彼女が持っているのは、たったこれだけなの。
「成均館」のユニのように、命をかけて、勉学に励み、アイデンティティを確立し、世界と関わっていこうということもない。あまたのロマンス小説のヒロインのように、愛に身を焦がし、手に入らぬことに苦しむこともない。
ヨヌって、なんだかお人形さんみたいで、命の輝きを感じないのだ、魅力的ではないのだ。
上巻ではヨヌをミステリアスに描写していたので、彼女の奥底には、何か熱い情熱が、手に触れた者を焼きつくすかもしれない熱情を秘めているのかと思っていたのだが、下巻ではただの絵に描いたお月さまなのだから。
自分の境遇に云々として従い、決して自分からその境遇を脱出しようとはしない。
王子が靴を持って、探しに来てくれるのを、ずっと待っているシンデレラがヨヌである。

ロマンス小説のヒロインとしては、どうなのか
ただ、そこにいるだけで、周囲の男性から愛され、求められ、大切にされる・・・そんな幻想が、この現代ではありえない。シンデレラは幻想だったと、私たちは知っているのだから。
日本の古典の「源氏物語」ですら、愛に関しては辛辣でほろ苦く、だからこそ、ロマンス小説でありながら、読者に人生とは何ぞや、と感じさせるのだから。

欧米のロマンス小説も、私は好んでよく読むのですが、ヒロインは必ずと言っていいほど、世間に自分をどう認めてもらうか、悩み苦しみ、傷つき、闘い、そんな彼女にヒーローは惹かれる・・・そんな黄金パターン。
かの「トワイライトシリーズ」だってそう。
自分が世界にどう関わるか、そういうこともきちんと書いていく。
ただ、男性に愛されることを待っているヨヌのようなヒロイン像って、どうなのよ?
どうしてこんなヒロイン像が、多くの人に支持されるの?

ロマンス小説としては、ちっとも評価できないわね。
読んでいてヒロインに共感する、という仕掛けが、「太陽を抱く月」にはないから。あるのは、チョン・ウングォルの願望だけだから。
周囲の男性に、無条件で愛されたい、なぜなら私はこんなに才能があって、美しくって、控えめなんだから・・・という願望しか透けてみえない。

そもそもロマンス小説というのは、作者のセクシャルファンタジーですからね。作者の性的願望を、世間に公表して、受け入れられればベストセラーっていう、恐ろしい自己表現の世界だと私は、思っています。
「成均館儒生たちの日々」「 奎章閣閣臣たちの日々」だって、同じセクシャル・ファンタジーですよね。
男子の中の紅一点になって、愛されたい私、という。

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ではファンタジー小説として「太陽を抱く月」はどうなのであろうか・・・


設定は非常に、面白いなぁ、と感じます。呪術という世界観を見事に造形している。しかし、やっぱりファンタジー小説として考えても、物足りないんだよなぁ。

a0192209_2052866.jpgここ最近、この記事を書くために、日本のファンタジー小説を読みふけっていました。
日本ではファンタジーの世界観を創出する才能を持った多くの人が、マンガ界に流れていっているので、少女マンガ・少年マンガにも傑出したファンタジー作品」は、数限りなくあるが、ここでは小説に限ってあげていくと。
荻原規子の「勾玉三部作」、小野不由美の「十二国記」、上橋菜穂子の「獣の奏者」を始めとする児童文学は言わずもがな。
最近の注目株では、感嘆させてもらった幹石智子「夜の写本師」の、あのゆるぎない世界観の構築。
古くは少女コバルトから、氷室冴子の「なんて素敵にジャパネスク」「ざ・ちぇんじ」「銀の海金の大地」(あああ、あの、まほろばの国の物語が未完だったのが悔やまれます)
須賀しのぶの「流血女神伝」の、ほろ苦いあの余韻。
喬林知の軽快な語り口調とは裏腹に、王としての覚悟を書き続ける「まるマシリーズ」、もちろん栗本薫の「グイン・サーガ」(ただし最初だけですが。あとはグタグタ・・・笑)
「彩雲国物語」にもしびれたわぁ~
チョン・ウングォルもネット小説出身作家さんらしいが、玉石混合のオンライン小説にだって、iaという天才作家存在する。「F」や「S&S」という世界観の前には、いつも私はひれ伏す。
no-seen flowerの「バベル」も圧倒的だよなぁ。

これらのファンタジーに共通するのは、やはり少女たちは闘っている、ということなのだ。

その、その柔らかな心に傷を負いながら、血を出しながら、しかし、自分の手で世界と関わっていこうとする、そのまなざしに、読者は熱狂するのよね。
そういう意味では、やっぱり「太陽を抱く月」では、読んでいても血が燃えたぎることがないの。
ロマンス小説、ファンタジー小説としても中途半端な、そんな感じがする「太陽を抱く月」
設定は、ものすごく素敵だと思うのに。何かが描き切れていないもどかしさを、この小説には感じる。

この読後感、何かに非常に似ていると、悶々と考えたのですが、量産されているBL小説とか、少女コミック?逆ハー状態が、そのまんま一緒ですね。
もう、ここまで考察した書きついでに、オタク丸出し用語を使用して「太陽を抱く月」を解説していくと(爆)、逆ハーだし、主従萌え、兄妹萌え、ツンデレ、いいなずけ・・・という、もしかして二次創作(同人誌)のテキストとなりそうな「太陽を抱く月」ですね。

う~ん、そういう層の支持が根強くあるのかも、ね。
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by moonlight-yuca | 2012-10-09 21:09 | ■本■ | Comments(2)

菊田!

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まだ、夏の疲れが残っている、こんな時に、「菊田がいればなぁ…」と思う。
「菊田!」その、一言でこちらの想いを、全てをわかってくれる、そんな男。
周囲の男は、言葉をどれだけつくしても、私の真意はなかなか伝わらず、挙句の果ては曲解していく奴らですので(爆)(もちろん名字呼び捨てなんかできないしね、そもそも)

「ストロベリーナイト」の映画では、果たして菊田の出番があるかなしか。
そんなことが、気になって気になって、仕方がない。
なにしろ「インビシブルレイン」が原作だからね…あれは、菊田より牧田がメインだから。

*****

「インビジブルレイン」では女刑事の姫川とヤクザものの牧田の、恋愛が描かれていくのだけれども。
作者が男性だからかなぁ、私的には切なくないのです。
そうやって考えると、女性が書く「女刑事もの」「女探偵もの」の方が、好きだなぁ。

同じようなシチュエーションでは柴田よしきの「RIKO」シリーズが、揺さぶられた、心を。
…しかし、あれはどちらかと言うと主役の緑子の恋愛よりも、脇だった錬と麻生龍太郎恋愛に、度肝を抜かれましたわ。
「聖なる黒夜」は、バイブルです。続きを10年も待っているのですが、出版されないわね。
この「RIKO」シリーズは、ジェンダーを飛び越えて、人間関係が構築されているので、面白いのよ。

桐野夏生は、今やすっかり大御所ですが、彼女のデビュー当時(ばりばりハーレクインです・笑)から、読み続けているのは、自慢(エッヘン!)
彼女の女探偵ミロシリーズでの、ミロと成瀬の恋愛が好きでね。
未だに単行本化されていない(他の作家とのオムニバス短編集には収録されているが)「グレイテストロマンス」という短編が、涙が出て仕方がない。
「愛しようのない女ミロを愛してしまった」男の話です。
これも、揺さぶられました。
しかし、ミロのその後の予想外の展開にも、度肝を抜かれました、ハイ。ミロが、韓国に行って、あんなことになるなんて、シリーズ1作目では誰も予想しなかったに違いない。作者でさえも。ダークですわぁ。

同じ桐野の「OUT」も好きでね、その中に描かれる恋愛が。雅子と佐竹。
恋愛というより、むしろ男と女の闘いが、描かれていく。どうしようもなく惹かれていくのに、二人が一緒にいるためには殺し合うしかないという、そんな関係。


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そういう破滅的な恋愛を読破している、私には「インビジブルレイン」はちょっと物足りなかった。
しかし、私の大好きなドラマ「愛なんていらねえよ、夏」の脚本家、龍居由佳里がドラマ「ストロベリーナイト」と同じく脚本を手掛けることになったので、もっと切なく、菊田ー姫川ー牧田の三角関係を描いてくれるのではないかと、期待。
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by moonlight-yuca | 2012-09-02 10:03 | ■本■ | Comments(14)

箱の中

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木原音瀬。このはらなりせ、とそっと呟いてみる。

乱読家なので、あらゆるジャンルの小説を読んできた。
その中には、BLのジャンルも、もちろんあったりして。
私は男男小説なら戦って最終的に殺し合って頂きたい性質なので、実際のところBLでは読むが本がなかったのよね。
仲良くされると困ります、みたいな。
おまけに、昨今のBLはどの小説でも、ものすごく床運動をフィジカルに頑張ってる感はありますよね。
とにかく登場人物の、体は動かそう・・・みたいな。
健康的な感じさえ受けちゃうのです。
体力勝負なお話なので、非体育会系な読者の私の萌えどころはありませんでした(爆)


しかし、私よりも歴戦練磨のお姐さん方は、こぞって木原音瀬を絶賛していました。
とにかく、イタイ、と。狂おしくイタイと。
ここで言うイタイとは、もちろん心が、ということも含まれるけれども、肉体的にもイタイ、という意味。
BL初心者が手を出してはいけない、作家が木原音瀬だった。

とにかく彼女の描く題材が、その発想が、ものすごい。
生半可な気持ちで、彼女の作品を読むと、ノックアウトされます。
こんなに残酷な(突拍子もない)テーマなのに、どうしてこれほど、切なく、苦しく、果てしなく悲しいのだろうか。
読んでいくうちに、悲しくて、悲しくて、悲しくて、心が、イタイ。

そんな風に感じさせる作家は、木原音瀬以外、私は知らない。
本当にすごい作品ばかりなのだが、哀しいかな、BL界でしか、語られなかったの。彼女の凄さは。
BL界の芥川賞作家とまで、お姐さん方の間ではささやかれていました(爆)

そんな、木原音瀬の「箱の中」が講談社文庫となって、発売されるらしい。
一般商業にデビューなのね… いやあ、驚きました。
しかし「箱の中」は傑作です。(イタさ指数は控えめですが)
この作品が、巷でどう受け入れられるのだろうか。
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by moonlight-yuca | 2012-08-31 16:24 | ■本■ | Comments(0)

太陽を抱く月(上)

a0192209_2029559.jpg太陽を抱く月 (上)  (2005年韓国)
チョン・ウングォル


忘れられぬ初恋。ただひとりの君―。 若き王と美しき巫女の哀しく切ない宮中ラブロマンス。

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「ソンス」の原作本を読んでいないので、チョン・ウングォルって初めてなのですが、オンライン小説からデビューした作家さんですね。
よくも悪くも、ネット小説出身の作家さんなんだろうなぁ~という、感想です。
ドラマとは、ちょっと違う筋立てで展開していく原作は(いや、逆か。ドラマが原作と違う切り口で展開されたのよね)、ドラマとは違う味わいがあるのも確か。



翻訳を読むしかないので、どうしても細かなニュアンスをきちんと受け取れているかは、自信がないけれども、「煙雨」「太陽」「月」「炎」といったキーワードを、ものすごく意識的に選んで使っているのが、わかる。
ただ、やっぱり、文学的か・・・と問われると、う~む。

ネット小説出身の作家さんというのは、割に、自分が描きたいシーンを、自分が訴えたいテーマを前面に出してくる傾向がある。萌えのシーンを、細切れに、矢継ぎ早に見せていく、というか。
ものすごく作家に、その作品に対する(あるいはキャラに対する)パッションがあるので、時として、こちらの胸に突き刺さってくるんだよなぁ、その手法。その作家との相性があえば。
「太陽抱月」に関して言えば、もうちょっとなめらかに、場面場面を描いてくれれば、もうちょっと登場人物の心情を細かく描写してくれれば、もっと切なく、狂おしく私の胸に迫ってくるのに。
読んでいて、どうも奥歯に物が挟まったような、そんなじれったさを感じる。
もっと、もっと、読者を熱狂させて、こんなに素晴らしいファンタジー設定なのだから。

設定の割に、この本の文章量が少ないの。
おそらく下巻もこのくらいの文章量だから、よくドラマで20話も脚色できたなぁ、と感心したりして。
例えば、荻原規子の「勾玉三部作」、小野不由美の「十二国記」、上橋菜穂子の「獣の奏者」の上質ファンタジーと比較すると、やっぱりどこか浅い感じがするの。
ネット小説出身だから、萌えシーンや、萌えキャラを作るのは上手なんだけれども。
ファンタジーと言うより、ライトラブロマンスなのかな。そう、全体的にライトな感じなので、もうちょっとがっつり「太陽を抱く月」の世界観にのめり込みたい私には、この原作はモノ足りないのでしょうね。

わかった! 設定萌えの作品なのよね、これ。
王という立場上、指一本触れてはいけない巫女に狂おしい恋情を抱くという設定萌え。
フォンがウォルの足首を掴んだシーンは、ゾクゾクしましたけれども。
また、チョン・ウングォルがフォン萌えしているのはものすごくわかるし、あるいはウン萌えもあるかも。
しかしヒーローたちに萌えている割に、ヒロインに対しての心情描写が少ないのだわ。
だからラブロマンス(ハーレクインもの)として、定義しようとすると、ちょっと何かが足りないの。こんなに素敵なヒーローが夢中になるヒロインは、こういう女性なのです・・・という描写が上巻ではあまり見当たらない。
いくら神秘の巫女だとは言ってもね。
ロマンスとして、下巻では切なくなるのか?

そして、現在ドラマ視聴中、原作本(上)を読了後の感想は、フォンとミナの兄妹は恋愛体質なのね~(爆)
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by moonlight-yuca | 2012-08-29 21:11 | ■本■ | Comments(6)
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blogお引越ししました。


by yuca
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